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木曜日更新!週刊「はい、しげのですが?」第3号

しげのです。

週刊「はい、しげのですが?」は
本家不定期刊行「はい、しげのですが?」blog.goo.ne.jp/shigeno_ootaに比べて、
ライトというか臆面もないネタを、
とにかく毎週繰り広げるべくスタートしたのです。


  • 記念すべき第1号では連続大河小説「しげのが風雷社中に来た経緯をめぐる長い物語 第1回」がスタートし、関係者からはまあまあの評価を得ました。
  • 第2号では4コマ漫画でも書こうかと思ったのですが、最近その手の力が本当に失せていて断念。代わりに文字芝居「ふうらいさんは語る」をお届けしたわけですが、これはほとんど反響がありませんでした。PowerPoint Onlineを使ったスライドショーという小技にはまったく食い付きがなく、


やっぱりここでまじめなネタは通じないぞ!

と反省をしたのであります。

今回は、「今夜はもう帰りたい!」という状況の中、「15分で終わる小ネタ」をめざすことにします。

で、早くも連続大河小説「しげのが風雷社中に来た経緯をめぐる長い物語 外伝1」をお届けすることにします。

もともとこの娯楽大河小説は、時間軸に沿わずにいろいろな逸話をお届けする予定ですが、いきなり外伝。1983年のある季節のお話です。

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その前に2014年5月8日のHASUNUMA-BASEにて。

風雷の事務スタッフNさんが
「しげのさんの大学時代の話、早く読みたいです」

風雷の事務局長のTさんが
「しげのさん、やっぱオルグとかされたんですか?」

Nさん「オルグって何ですか?」

オルグってのはさ、いわゆる、政治党派への勧誘のことだね。

オルグねえ・・・・
それじゃ、「僕はいわゆるセクト(政治党派)の方々と仲良しだった」、というお話をしましょう。

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「しげのが風雷社中に来た経緯をめぐる長い物語 外伝1」


1981年から1984年まで、しげの君は、東北大学で「教養部文化部サークル協議会」通称サ協ってやつの運営委員とかをやっていたわけです。
その辺の話は正伝の方でされると思いますが。


ただし、「しげのはノンセクトである」ということはお断りしておきたい。
というか、セクトの方々も、
「しげのをオルグするのはちょっとなあ。面倒見切れないだろうなあ」
と考えるくらいの微妙さが僕にはあったということです。

当時東北大学でお付き合いをしていたセクトといえば、中核派と解放派です。
僕が入学した当時は、両者は殴り合いをしていたりしましたが、基本的に仙台という街は牧歌的なところがあり、その後まあまあ仲良く一緒に助け合って活動していたわけです。

10年ほど前、サークルの仲間のT君(東北大学のノンセクトのボス格の人だったのだ)が遅ーい結婚なぞした時も、

結婚パーティーの一次会の受付を中核派が担当

二次会の幹事は解放派が担当

だったりしました。


そおいえば、実際にはオルグとはいえないまでも、ちょっとした勧誘らしきものはありました。ご紹介しましょう。

1.中核派の場合


当時僕は居合道をちょっと習っていて、昼休みなど、サークルボックスの前で刀を抜いて稽古などしていました。

すると中核派の東北大の軍事警察組織のリーダーであるKさんが、僕に声をかけるのです。

「しげの、そんな居合道なんかより、わが党がもっと実践的な格闘術をお前に教えるぞ」

同行していたS君も言うのです。

「僕も空手を習っていたんだけど、あれでは実践の時、全然遅いんだよね。」

ちょっと魅力はありましたが、僕にはセンスがなさそうなので、丁重にお断りしました。

2.解放派の場合


東北大の解放派は当時、リーダーのSさんがパチンコの稼ぎを元手に軽トラックを購入し、ちり紙交換の仕事をしていました。

僕が下宿を引っ越すことになったことを聞きつけたSさんは、

「しげの、引っ越すんだってな。
わが党が、格安の値段で引っ越しを請け負うがどうだ?」

この話には乗らせていただきました。軽トラックと運転手1名付きで3000円。
なんと破格な。

でも、僕があまりに荷づくりをろくにしていなかったので、半日付き合わされてたまりかねた運転手のN君に、
「これじゃひどすぎるよ。もう2000円払ってよ。」と言われました。

まことに尤もなことなので、お支払いしました。いや感謝感謝。

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こんな感じで外伝は終わり。
これを書いてる間に庭野君も帰っちゃった。
また来週をお楽しみに。

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