スキップしてメイン コンテンツに移動

【吹き溜まりと呼ばれてしまう無秩序な場所で】

私が2年半にわたり運営してきた【じゃりかふぇ】のコトを

『子どもの吹き溜まり』

と称する方々がいる。

私はその呼称が不愉快なんだけれど、呼んでくれている方々が  ある種の愛情を持って そう称していることは知っている。

『吹き溜まり』
なんて呼ばれてしまうのは何故なのかな?………って、その答えを
私は最初から知っている。

【じゃりかふぇ】とは全国にいくつかある『おもちゃ図書館』のひとつ。
『おもちゃ図書館』ってのは  『障害の有無に関係なく子どもたちが遊ぶ場所』。

2年半前に  別件で初めて風雷社中にお邪魔したときに、「これからおもちゃ図書館を作ろうと思っている」と聞き、私は近所に住んでいるし、思うところもありボランティアを志願した。
思うところ…は、
自分の娘が遊べる場所を自分自身で作れるから。
そして、
近くにある児童舘より「立ち入り禁止」と言われて遊ぶ場所がなく  外を走り回り沢山のトラブルを起こしていた特別支援学級に通う男の子のような、そんな行き場の無い子どもたちも受け入れられる場所が作れると思ったから。


じゃりかふぇは

家庭が複雑で家にいられなかったり、

朝に目覚めてから夜寝るまで、誰も家族がいなかったり、

児童舘に拒否されたり

公園などで皆と上手く遊べなかったり

障害を持っていたり

なんて子どもたちが常連さんとなっている。
だから
    吹き溜まり  って言われているんだろう。
でも
『吹き溜まり』と呼んでいるのは、その子たちをあたたかく迎え入れてくださっている風雷社中の皆さんなんだ。愛情を持っての呼称なんですね。


吹き溜まるものは何か?
吹き溜める場所が他にあるか?
吹き溜まりから流れていく場所は何処か?
流れていくことが正解なのか?

私にはよくわかんないな

ただ解っているのは
じゃりかふぇの子どもたちは皆  私のことが好きらしいってコトでーす!

私は自分の娘以外の子どもは、相手をしたり一緒に遊んだりするのは面倒だし、相手をするとクセになるからしないんだけど、
それでも じゃりかふぇにいると 皆 私に色んな話をしてきたり報告をしてきたりする。
お菓子を分けてくれたり  マッサージもしてくれたりするんだょっ、
まっ、皆カワイイんだわっ!!
それは
多分
私が子どもを子ども扱いしないコトが理由なんぢゃないかと最近思っている。子どもっていったって   一人の人間なんだからね、
人間どうしとして付き合いたいなと思ってる。
『子どものくせに』とか『大人だから』とか、嫌ぢゃん★
子どもにも立派な人はいるし、大人なのにどーしよーもねーやっっっってのもいるぢゃん★


いや
でもあちらは私を友達だと思っているのかな?
だって
じゃりかふぇの開館前日とか当日には  私の携帯に子どもたちが電話をしてくる 
「もしもしー
今日はじゃりかふぇやってる?太田さんいるの?ラムネ食べる?持っていってあげようか?」
なんてねっ!!



ああそうか
あの子どもたちと私は友達になっているのかもしれない。
それで皆、私に優しくしてくれるのかな。

私は
吹き溜まりの中心になっているのかもしれないな。 
吹き溜まりの中で私が出来ることは、秩序無く吹き溜まるモノたちの居心地をあたたかくさせることなんだろう。




そんなじゃりかふぇでは
ボランティアさん募集中でーす(^O^)
無理して子どもと遊んだりしなくたって良いよ、ただ  子どもに求められたときに正面から向き合える人が希望ですっ!
もちろん子どもと遊びまくってくれる若い人も大歓迎!!!!
よろしくお願いいたします(^o^)/




このブログの人気の投稿

週刊?「はい、しげのですが?」仙台弘済病院:さよならライトオブゴールデンボール。

仙台弘済病院:さよならライトオブゴールデンボール。 4週間も黙って休載して、おまけに木曜日でもないのに何だといえばそのとおりだが。 今日宿泊したホテルのせいで、いろいろ思い出したことがある。 このホテルの道路(晩翠通り)の向かい側に立つのが東北弘済病院。 1986年だか1987年だか、いまや定かではない。 僕がCBなんとか、という50CCの原付バイクを柄にもなく使用していたころ。 このバイクはクラッチの入り方・切り方がとてもタイトで、 停止時にニュートラルギアに入れる時に、結構惰性が残ってしまったりするのだった。 その日は歩道の段差に乗り上げる際に股間をしたたか打って、 結構痛いなあと思いながら、 当日はアムネスティインターナショナル仙台グループと 仙台東チモールの会の共催による 「ミミ・フェレイラさんを迎える会」 みたいな学習交流会を催し、我慢をしていたのだった。 (この時にアムネスティインターナショナルの新人職員として、 いまや人権派弁護士として活躍する 岩井信 さんが来仙していた。 僕と同い年。今知ったのだが、連れ合いが坂上香さんだったとは。) 当時、この集会には医学部の学生が多く参加していたのだが、 誰もが僕の 「すっごく痛い」 という訴えに対して 「ぴょんぴょん飛んで○○を下げれば大丈夫」 とかいう適当な答えをしていたのだった。 結果として、引かない痛みに耐えかねて2日後に病院に駆け込んだ段階で 、僕の右睾丸は壊死していたのだ。 仙台弘済病院で簡単な切除手術の後、2週間ほど、入院した。 この病院は仙台の繁華街に接していた。 一番早く見舞いに来てくれたのが西宮弘さん http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r01127.html で、これには大変恐縮した。 突然時間ができた僕は、それまで手にすることもなかったレーニン著作集に手を出し 「左翼小児病について」とか読んで 「しげのもついに本格的にまずいぞ」 と言われるようになった。 ベッドの上で原稿を書いて「退学者有志」とかいうビラを、教養部に後輩に撒きに行かせたりもした。 右睾丸と引き換えに、人生で最も温度が高かった時期であったことは間違いない。 1993年に今の連れ合いとの生活を公

ガイドヘルパー(登録制アルバイト)募集中!!

風雷社中は 随時、ガイドヘルパー(登録制アルバイト)を募集しています こんな方を探してます。 □障害福祉に関わったことがない。 □使えそうな資格なんにももってない。 □楽しい事が好き。 □あんまし、信念とか、理想とか、根性とか、、、硬いのは好きじゃない。 □でも美味しいラーメン屋では、行列に並んでしまう、、、。替え玉しちゃう。 □「厳しい」より、「優しい」が、世界を変えると思う。 □将来何しようか迷っていて、なんか色々体験してみたい。 □会社員やってるけど、もっと社会と関わりたい。 そんなあなた、ガイドヘルパーをやってみませんか。 ☆ガイドヘルパーのお仕事見学・事務所でのお仕事説明は随時受け付けています→ https://goo.gl/forms/Hn2BttPtLUvTHARz2 ●時給 1000円~1500円 ●交通費 実額支給(上限1,500円) ●勤務地 大田区、目黒区の利用者宅等を支援開始・終了場所としていて、直行直帰です。 ●勤務時間帯 ・平日午前7:00~9:30(この間の30分~1時間半) ・平日午後 15:30~20:00(この間の30分~5時間) ・土日祝祭日9:00~18:00(この間の3時間~8時間) ・勤務日数は月2回、1日30分~OK ・月毎の希望シフト制 (勤務例) 朝だけ、夕方だけ、休みの日だけ、短い時間だけ....いろんな働き方があります。組み合わせることもできますよ。 ※時間帯・勤務時間の長さは一例なので、他の条件の支援もあります。詳しくはご相談ください! ①平日朝タイプ 8:00~9:00の送迎支援 支援が終わった後の時間は他の仕事に出勤したり趣味の時間に使ったり自由(゚∀゚)早起きは三文の得☆ ②平日夕方タイプ 15:30~18:00の送迎・外出支援 昼間まで自由に過ごせます(人´∀`) 朝早いのは苦手だけど夕方は時間が空いている人におすすめ☆ ③休日(土日祝日)タイプ 10:00~15:00の外出支援 休みの日に遊びに行くだけでちょっとしたお小遣い稼ぎに(*´ω`*) ④短時間タイプ 15:30~16:00の30分だけの送迎支援 30分の勤務でも1時間分の給与が出ます!ちょっとだけや

週刊『はい、しげのですが?』第1号:しげのが風雷社中に来た経緯をめぐる長い物語 第1回

しげのです。 風雷社中では、「風雷社中の広報に関するプロジェクトチーム」みたいなものがあって、そこで「何人かで分担してブログの曜日決め更新」みたいなことが決まったようだ。それで僕には、「毎週木曜日にブログを更新せよ」という指示が。 ----------------------------------- 中村かずとし 4月1日 To コアメール, 自分  庭野さん、ありがとうございました。 茂野さんがコアmail届いてないようなので、ローテーション再送します。 fight for your right (to party)遊ぶためにね、、、 http://fuu-rai.blogspot.jp/ ・常勤は毎週更新  田中 月曜日   庭野 火曜日  中村 水曜日  茂野 木曜日     カテゴリー 風雷日々是々 ----------------------------------- 中村君いわく、個人がプライベートなことを書くのが注目度をあげる要諦なのだそうで、内容はきちんとしたものでなくて気の利いたものでなくてもよい。何でもよいから、とにかく更新の数が増えることが注目度を増すのだそうだ。 ほお、何でもよいのだな。 毎週木曜日に、何かしら書けばよいのだな。よかろう。 僕は自分のブログ「はい、しげのですが?」を持っているわけだが、更新頻度はとても少ない。よそから頼まれて締切つきの原稿を書く時を除けば、一応まじめに書こうと思うと、気力が充実しているか感情が高ぶっているか、どっちかでないと、できない性分なのだ。だが、「何でもよいから毎週」と言われれば、それなりの考えがあるぞ。写真でも4コマまんがでも、手段を選ばず更新してやろうではないか。 そういうわけで、「週刊『はい、しげのですが?』」を始めることにします。 【連載大河小説「しげのが風雷社中に来た経緯をめぐる長い物語」 第1回】 ・・・しげのが大学に行くまで・・・ しげのは1960年新潟市に生まれました。小中学校の頃は勉強しかとりえがなかったのですが、高校に入ったらちっとも勉強しなくなりました。 だって、高校を卒業したら大学に進学せずに、市役所あたりに就職するつもりだったのです。 早く独立して、 過剰に干渉してくる母親と、 酔って暴れ