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ONLINEセミナー ソーシャルクエスト #1  ソーシャルクエスト「取材報告 福島の11年間~原発事故被害と福島の人たち」(豊田直巳さん)

  ONLINEセミナー ソーシャルクエスト #1 ソーシャルクエスト #1「取材報告 福島の11年間~原発事故被害と福島の人たち」 東日本大震災と、福島原発事故から、11年が経過しました。 多くのひとびとの記憶と話題から消えつつも、被災地域のひとびとは、実際には解消されず、むしろ深刻化する多くの課題を抱えて、今日この時も苦悩を続けています。私たちは、再度、この現実を注視し、改めて伴走の方法を考える時に来ていると考えます。 フォトジャーナリスト・豊田直巳さんは、事故直後から福島を取材撮影し、被災した住民との関わりを続けながら、映画「遺言」「サマショール」等で、リアルな福島原発事故被害の状況の記録を発表し続けています。また、『フクシマ~尊厳の記録と記憶』巡回写真展プロジェクトも継続してきました。 一方、私たち風雷社中は、2011年の福島原発事故の直後に、大田区へ避難をしていた障害当事者家族との縁から、大田区のNPO関係者と、まだ混乱の中にあった南相馬への訪問調査を実施しました。そして、その聞き取り調査に基づき、現地の障害者支援団体の要請に応えるために、南相馬市に取り残されていた、障害のある人の移動の困難を解消する為の緊急支援事業「さっと事業」の取り組みに参画しました。 あの大震災と原発事故から11年目のいま、福島の状況を改めて共有化し、私たちが社会課題として,これからどのように取り組んでいくべきかを考える機会を持ちたいと考えます。 豊田さん著書:岩波ブックレット フォト・ルポタージュ『福島 人なき「復興」の10年』 福島第一原発事故から一〇年が過ぎた。多額の復興予算は、当事者不在の公共事業や検証なく繰り返される除染などに費やされ、さらに原発事故の傷跡を覆い隠す「復興五輪」が強行された。地元住民を置き去りにする偽りの「復興」は福島に何をもたらしているのか。住民らの苦悩と闘いをカラー写真とルポで描く好評シリーズ第4弾。 ソーシャルクエスト(社会を冒険する) NPO法人風雷社中は「障害のある人たちの人権の実現と差別の解消」に障害福祉サービスの実施を通し取り組んできていますが、障害福祉の枠にとどまらず、人権の実現と差別の解消を横軸とした社会課題の共有化とネットワークづくりとして、ONLINEイベント「ソーシャルクエスト」を2022年度より開始していきます。その初年度である今年

支援の一般化について、改めて少しだけ(^O^)

ガイドヘルプ事業を進めてきた中で、風雷社中で僕が当初より掲げてきている考え方が「支援の一般化」。 障害者の状況をどう変えていくか? 僕は2つの方法を考えている。 その一つが「支援の一般化」。 もう一つが「障害平等研修」※。 支援の一般化は、理念の啓蒙だけで社会が変わるわけもなく、社会を変えていくのは具体的に障害者自身が街に参加していくことが必要だってとこからスタートしている。 その為の手段としてガイドヘルプを活用した外出は今まで社会との接点を制限されてきた重度障害者が社会に触り、社会を変えていく大切な活動だと思っている。 また障害者と非障害者って乱暴な括りで分けられてきた社会の中で、非障害者と障害者の一番強い接点が「支援」って場面であること、そして、その「支援」って接点さえ特定一部の専門家風の人々が独占してきている現状。それでは、社会の状況は変わっていかない。 僕は「支援」って活動を障害者と接点のなかった人々が障害者と合流する一つのポイントとしていき、そこでの経験を障害者との接点の少ない日常に持ち帰っていくことで障害理解を進めていけるのではないかと考えている。 具体的には障害福祉を仕事として強く希望する人を取り込んで行くのではなく、いままであまり障害者と接点がなかった人たち、これからもないと思われる人たちの層から支援者を作っていくことが重要だと思っている。 障害者への支援に特別なスキルはいらないと考えている。 あらゆる障害者への支援や不特定多数の障害者への支援を習得するのには特殊なスキルは必要だが。 障害のあるAさんへの支援に関わるのは、Aさんのことをゆっくりと丁寧に理解していく環境が重要で、支援者に特別なスキルはいらない。 もちろんAさんの支援に必要なスキルを習得できない人はいる、しかし、その人はBさんの支援に必要なスキルは習得できるかも、Cさん、Dさんなら。 もしかした直接本人への支援に関わるスキルの習得はできないかも、しかし、支援を高知来るのは直接支援だけではない、事務的な、または広報的な様々な切り口を必要としている。 障害者が直接、街に参加していく その参加を障害者と接点が希薄だった人たちが支えていく そのことで 障害者が主体的に社会や人を変えていく為の場面を作っていくとが支援の一般化なのだ。 また、その仕

週刊?「はい、しげのですが?」仙台弘済病院:さよならライトオブゴールデンボール。

仙台弘済病院:さよならライトオブゴールデンボール。 4週間も黙って休載して、おまけに木曜日でもないのに何だといえばそのとおりだが。 今日宿泊したホテルのせいで、いろいろ思い出したことがある。 このホテルの道路(晩翠通り)の向かい側に立つのが東北弘済病院。 1986年だか1987年だか、いまや定かではない。 僕がCBなんとか、という50CCの原付バイクを柄にもなく使用していたころ。 このバイクはクラッチの入り方・切り方がとてもタイトで、 停止時にニュートラルギアに入れる時に、結構惰性が残ってしまったりするのだった。 その日は歩道の段差に乗り上げる際に股間をしたたか打って、 結構痛いなあと思いながら、 当日はアムネスティインターナショナル仙台グループと 仙台東チモールの会の共催による 「ミミ・フェレイラさんを迎える会」 みたいな学習交流会を催し、我慢をしていたのだった。 (この時にアムネスティインターナショナルの新人職員として、 いまや人権派弁護士として活躍する 岩井信 さんが来仙していた。 僕と同い年。今知ったのだが、連れ合いが坂上香さんだったとは。) 当時、この集会には医学部の学生が多く参加していたのだが、 誰もが僕の 「すっごく痛い」 という訴えに対して 「ぴょんぴょん飛んで○○を下げれば大丈夫」 とかいう適当な答えをしていたのだった。 結果として、引かない痛みに耐えかねて2日後に病院に駆け込んだ段階で 、僕の右睾丸は壊死していたのだ。 仙台弘済病院で簡単な切除手術の後、2週間ほど、入院した。 この病院は仙台の繁華街に接していた。 一番早く見舞いに来てくれたのが西宮弘さん http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r01127.html で、これには大変恐縮した。 突然時間ができた僕は、それまで手にすることもなかったレーニン著作集に手を出し 「左翼小児病について」とか読んで 「しげのもついに本格的にまずいぞ」 と言われるようになった。 ベッドの上で原稿を書いて「退学者有志」とかいうビラを、教養部に後輩に撒きに行かせたりもした。 右睾丸と引き換えに、人生で最も温度が高かった時期であったことは間違いない。 1993年に今の連れ合いとの生活を公

赤い月をみて我思う

間違えた、、、 今日の夕方に環8走っててまるーいの見たんですけどね ありゃ時間的に太陽だね やべーやつ ぶっちゃけ話してもいいすか? ニーチェがすきなんすよ ニーチェね ニーチェ  なんたって響きがいいでしょ? エッチな雰囲気むんむんでピンクな要素もありそうだし それに西田ひかるのCMを連想する感じも エロティシズムな要素だけでなく なんだかんだ哲学の世界でドイツ代表っぽいじゃない? つかドイツ人だけどね、、、 どっちかと言えば地域とか偏ってるよな。哲学ってさ ヨーロッパサマサマって感じだし偉そうだし、気取ってそうで つかわたしニーチェが愛読書なんです」なんていったら 「こいつうんちく哲学的なうんちくばっかのべて、空気の読めない絡みにくいやつじゃないかよ…」 「きゃー  マジうるさい漢まじ無理!」 と思われそうでワクワクして俄然いいね♪ 滾(タギ)ってくる でも結局のところあたまいい系なんじゃない 哲学っぽいの読んでますなんてちょっとあたま良さそうじゃない。 ホント アピールしたいポイントもいい感じなわけよ 「おまえらそんなんだから奴隷なんじゃ!」って考え方が共感するわ 「なにが清貧じゃボーケ!」って 日本の玉なしのそうしょく男子諸君はぜひ読んだほうがいい あー言っとくけどニーチェの詳しい話は オレに聞いてもらっても覚えてないこと多いから聞かないようにね。 複雑なんだよ哲学ってさ ゴホゴホ、 ゴホゴホ、 うう、、、 オエーーーーー! ??? まさかこれは血? … … 咳が止まらない もう時間がない おれは何度もいうけど超人になりたいの 超人になったら そんなDNAを女に刻みこみたい マウイとかサモアの女がいいな 基本からだつよい系っぽいでしょ? そんで 外洋に出て息子(その名を田中豪傑という)とマグロ漁して暮らすんだ♪  そうそう 今度、卒塔婆についてブログで語るよー乞うご期待(^^) おわり

ロデオ✖︎TENGA 庭野博士の開発日記(嘘)

なにごとも日々創意工夫Σ( ̄。 ̄ノ)ノ 庭野博士の研究開発はココまで進んでいる。 撮影時にTENGAがなかったのでダミーでの撮影となるが、我々は確信した! これはイケる! 後は固定具の開発と各メーカーへの交渉になる。

木曜日更新!週刊「はい、しげのですが?」第3号

しげのです。 週刊「はい、しげのですが?」は 本家不定期刊行 「はい、しげのですが?」blog.goo.ne.jp/shigeno_oota に比べて、 ライトというか臆面もないネタを、 とにかく毎週繰り広げるべくスタートしたのです。 記念すべき第1号では連続大河小説「しげのが風雷社中に来た経緯をめぐる長い物語 第1回」がスタートし、関係者からはまあまあの評価を得ました。 第2号では4コマ漫画でも書こうかと思ったのですが、最近その手の力が本当に失せていて断念。代わりに文字芝居「ふうらいさんは語る」をお届けしたわけですが、これはほとんど反響がありませんでした。PowerPoint Onlineを使ったスライドショーという小技にはまったく食い付きがなく、 やっぱりここでまじめなネタは通じないぞ! と反省をしたのであります。 今回は、 「今夜はもう帰りたい!」 という状況の中、「15分で終わる小ネタ」をめざすことにします。 で、早くも 連続大河小説「しげのが風雷社中に来た経緯をめぐる長い物語 外伝1」 をお届けすることにします。 もともとこの娯楽大河小説は、時間軸に沿わずにいろいろな逸話をお届けする予定ですが、いきなり外伝。1983年のある季節のお話です。 ----- その前に2014年5月8日のHASUNUMA-BASEにて。 風雷の事務スタッフNさんが 「しげのさんの大学時代の話、早く読みたいです」 風雷の事務局長のTさんが 「しげのさん、やっぱオルグとかされたんですか?」 Nさん「オルグって何ですか?」 オルグってのはさ、いわゆる、政治党派への勧誘のことだね。 オルグねえ・・・・ それじゃ、「僕はいわゆるセクト(政治党派)の方々と仲良しだった」、というお話をしましょう。 ---- 「しげのが風雷社中に来た経緯をめぐる長い物語 外伝1」 1981年から1984年まで、しげの君は、東北大学で「教養部文化部サークル協議会」通称サ協ってやつの運営委員とかをやっていたわけです。 その辺の話は正伝の方でされると思いますが。 ただし、「しげのはノンセクトである」ということはお断りしておきたい。 というか、セクトの方々も、 「しげのをオルグするのはちょっとなあ。面倒見切れないだろう

肉フェス!!!!!!!

おーい! 肉、たりてるっすかーーー!!!???? ってなワケで本日外出支援で駒沢公園公園で開催中の「肉フェス」に行ってきた。 ・・・がッ!!!! 中央広場からはみ出るほどの超行列。 ボードには「券売機列最後尾」みたいなこと書いてあったが、 チケット?買うだけでこんな並んでいるの? 東京ラーメンショーもだが、云時間待ってラーメン一杯食べたり、 云時間待って肉喰らいたくなんてありませーん。 踵を返し、駒沢公園を後にした。 利用者の兄ちゃん、「肉だ、肉!肉喰うぞ!」とか言っていながらガッカリさせてすまないm(__)m 付近の華屋与兵衛に向かうが、なんとスロープがない。 裏口から入れるんじゃんすか?と思い、裏に回るが・・・ない。 付近に他の店舗も見当たらない・・・ 昼過ぎで我々の空腹は限界なので、車椅子で階段3段を限界突破。 なんとか食にありつけた。 当然、スロープなかっただけにトイレも介助用が無く、入れないという困ったものであった。 タイムマシンあったら、江戸時代に行って初代華屋与兵衛を謀殺っすね。 退店後、トイレを求めて彷徨ったら「桜新町区民集会所」なる物件を見つける。 世田谷区民ではないが、おそーるおそる入ってみると当然だが介助用トイレがある。 ちょうどトイレからガラリと年配の女性が出てきて、誰だか分からないけど 「トイレ使っても良いっすかねー?」と聞くと「大丈夫ですよ」と。安心。誰だか分からないけど。 良かったのはその女性が「介助必要ですか?」と聞いてきてくれたことだ。 車椅子の子だったため、1人では大変だという心遣いだったのであろう。 年配女性ッ・・・!!!!礼を言うッ!!!!!! しかし「ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第一回戦」の庭野は パワーにはそこそこ定評があるため、1人でこなしたのである。 ままっ、声かけてくれてありがとうございました! 帰ってから肉フェスについて調べてみると、大混雑だわ、食券買えないわ、食券すら販売一時停止になるわ、食券買っても肉売り切れているわ、なかなか大変なことになっていたらしい。 牛繁行ってくるわ。
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日付は変わったが、それが何か?

毎週、曜日を決めて風雷コアスタッフでブログ更新していこうと方針を僕が出したが、、、僕は水曜レギュラーだったが、、、ありゃ、日付が変わったが、、、今、パライソです^_^ パライソは蓮沼にある、楽園です。 やはりピータンとビールの組み合わせは最高! さて、このパライソの何が楽園か? 安い! ししゃも150円、もやし炒め200円! 美味い! 餃子、豚足は下手な中華屋で喰うより遥かに美味いし、安い! 蓮沼・蒲田で飲むなら外せない店ですよ!

庭野拓人の蒲田放浪記、、、かな? 蒲田駅西口の台屋

風雷社中の拠点がある蒲田は聖地と言える 飲み助の聖地 蒲田 我らが庭野隊長は聖地巡礼をしてくれています 世界の平和を祈りながら、、、飲む 見かけたら、声かけて下さい「隊長!」って(^O^)