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【知的障害を持つ女の子が風俗嬢という選択をすること】

私がいわゆる【SMプレイ】というものの ホントの内容を知ったのは26歳の時だった。

当時 M嬢を生業とする女の子24人と2週間一緒に生活することとなり 彼女たちと色んな話をした。


先日、風雷社中の俊哉さんが「やろうと思っていた【39窃盗団】の上映会の予定は滞っている」と言っていた。
私はあの映画を見た時にあの時のM嬢の女の子達を思い出し、胸が潰される程に苦しくなった。


完璧ノーマルだった私は初めてSMプレイの内容を聞いた時に、ショックを受けたし物凄い吐き気をもよおした、
だけど…一番ショックだったコトは、
彼女達24人全員が虐待を受けて育ち、そしてそのうち19人の女の子は程度の差はあるが
知的障害者だ
ということだった。

映画【39窃盗団】の主人公の一人は、父親から風俗で働かされるコトを強要されている 知的障害を持つ女の子だ。

そしてそれは、現実に、存在をしている。


人が人を救えるのか?
どうすれば私はこの女の子達を救うことができるのか?

などということを、当時の私は最初に真剣にに考え込んでしまったのだけれど、
その女の子達は 誰一人として救いなど求めてはいない、自分は幸せだと感じている女の子が多くて、
私もそのうちそれを理解することとなった。


親から虐待を受け、親から愛情を与えられずに育った人は多分永遠に、
自分が人から愛されることをとめどなく渇望し、
そして永遠に、
自分が人から愛されることがあるなんてことを心の底からは信じ切れない。
私も同様なのでよく知っている。

愛情を渇望したとしても、
「あんたが馬鹿だから頭が悪いから愛情を与えられないのだ」
と幼い頃から叩き込まれてきたこのM嬢の女の子達は口を揃えて「この仕事が楽しい」と言っていた。

女の子達が所属するSMクラブは高級で、プレイ料金は物凄く高かったために、社会的地位の高いお客さんが多かったので、
女の子たちは皆プレイの内容がどんなに酷いものであれ、お客様からとても紳士的に優しく扱われていた。
例えば見たこともない素晴らしい料理が並ぶレストランに連れて行ってもらったり、素敵な服や本物のアクセサリーをプレゼントされたり、海外旅行に連れていってもらったり、好きな映画やコンサートや美術館に連れていってもらったり、風邪をひけば電話をしてきてくれたりお見舞いに来てもらったり…と、
お客様からとても大事にしてもらえていた。
店の人たちからも大切に扱われていた。
一人の人間として尊重してもらえていた。
価値がある人間だと認めてもらえていた。
つまり、クラブ内では
それまでの人生とは真逆の扱われ方をされていたんだ。

「仕事は大変だけど、お客さんも店長も私のことを馬鹿だって怒らないから。
私を好きだって言ってくれるから。
今まで皆から馬鹿だ馬鹿だって言われてたけど、ここの人達は皆優しくしてくれるから。」
彼女達は幸せだと言っていた。

例えそれが一時のコトであるとしても 例えそれが疑似であるとしても、
M嬢の仕事で自分の渇望しているものを手に入れることができるから幸せなんだと言えているんだ。

一瞬だって疑似だって、
幸せは幸せだ。


【39窃盗団】に出てくる女の子は 父親に風俗で働くことを強要され、そしてその給料を父親にピンハネされている…が、その女の子はそれに気づけない。

このM嬢たちも 誰かしらに何かしら搾取されていた…搾取するのは親だったり親戚だったり友達だったり恋人だったり…
けれど 搾取する相手は優しくしてくれるから 絶対にその相手を嫌いにはなれない。
幼い時からの優しくしてもらった経験が とっても少ない女の子達だからだ。


彼女たちは普通の会社員の数倍の月収を手に入れられる。
彼女達はその月収の多さで自分のプライドを保つことができる。
多少他人に搾取されても気にはならないし、
私もそうだったのだけれど、何かしらを相手に差し出すことをしなければ…例えば金品だったり身体だったり服従だったり…を差し出さなくては、自分と仲良くしてくれる人や 自分に優しくしてくれる人がいるなんてことを信じられない。
無償で愛が与えてもらえるものだなんて信じるコトが出来ない。
それは
虐待を受けた人にはとても多い考え方だし、身にしみてしまっていて、
そしてそれは
知的障害を持ちながら虐待されていた彼女たちにとってはなおさらで、
搾取は、
何かしらを差し出すことは、
彼女達にとってはとても理解しやすくて一番シンプルな 人と仲良くし続けていくための方式なんだと思う。



彼女達とはそれ以来  1度も会っていない。
もう20年も前の話だから、彼女達も年をとり  M嬢という風俗は続けていないんだろう。他の風俗で働いているのか?

あの時よりも幸せになっているのか?
自分にプライドを持ち続けられているのか?
搾取され続けてはいないのか?
私は馬鹿だから…なんてセリフを吐き続けてはいないのか?

一瞬でも嘘でも構わないから、
でも、それが嘘ではなくて真実ならば最高なんだけど、
   彼女達が幸せを感じてくれていることに巡り合うこと
を  私は心より願う。

「知的障害があるから風俗で働く、知的障害があるからM嬢になる」
 なんて選択肢が当たり前のはずはない。私だってそうは思う。
けれど  親から疎んじられ虐待され、それでも自立をしていた彼女達の、あれはとても強くてプライドを持っていた美しく気高い姿だったと私は思う。尊敬に値する。
…なーんて
書くとさ、ゴタゴタ言ってくる人がいるのだろうけれどね。
私は彼女達を美しいと思っていたし
尊敬していた。



私は他にはあまり類を見ない内容の虐待を受けて育ったことをずーっと隠して生きてきていて、未だにどんな虐待を受けたかを誰にも話したことが無いし、
そもそも虐待を受けてたってコトをキチンと告白できた相手は今までに2人だけで、

私はこれまで、決して落ちないモチベーションを保つ力と プライドと ほんの一部分だけだが天才的なモノが頭の中にあったために、M嬢にならずに生きてこれたわけで、

でね、
昨年あたりから  なんとなく自分が虐待を受けていたということをカミングアウトすることで 救われる人がいるかもしれないと考えるようになってきた。
まぁ、
私の心の傷は限りなく深いために 虐待の詳細は誰にも語れていないし、この先も誰かに語れはしないと思うんだけれど、
そんな私でも まぁまぁ今まで楽しく生きてこれましたよってコトを傷手ついている人達に伝えるコトで、傷ついている人達の傷を軽くできるんぢゃないかなぁって考えるようになってきた。
今、
あの知的障害を持ってたM嬢達に会えたならば  もうちょっと違うことを深く話せるんぢゃないかな なんて思ったりもする。

私は、誰かに自信を与えてあげられる人になりたい。

私は自分の産んだ娘たちに救われた、
娘たちに自信というものを与えてもらえた。
娘たちは 私が何かしらの物を差し出さなくても私を無償で求めてきてくれた
私も何かを差し出さなくてはいけないなんて思わずに接するコトができた初めての人が我が娘たちだ。
娘が生まれてから 娘たちに愛される求められている…ということで私はとても安定したし、
ちょびっとだけだけれど自分に自信を持てた…娘たちに持たせてもらえた。
そしてそれからは
   物凄く楽になった。

あのM嬢の女の子達も今
自分を無償で愛してくれていると信じられる相手が  一人でも作れていると良いな
それは自分の子どもでも家族でも、恋人でも友人でもいいからね。


【39窃盗団】は、たくさんの人に見て欲しいと思っていた。私個人としては嫌なコトを思い出すから2度と見たくはないけれど
でも  あの映画自体は軽く笑えたりして 最後はハッピーエンドの明るい感じの映画だ。観ていて苦しくなるような映画では決してない。
沢山の人に観てもらって
あれは決してフィクションではないということを 皆に考えて欲しかった。



上映会が滞ってしまったのは残念だわ。
皆さんに観ていただきたいと思いますよ。
感じてもらいたいと思います。



by  じゃりかふぇ おおた

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