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【自分の仕事を見せていくことをTRANSIT☆YARDで実現する】


【自分の仕事を見せていくことをTRANSIT☆YARDで実現する】

♪♪♪昼間のパパは  ちょっと違う♪♪♪
     ♪♪♪昼間のパパは男だぜ♪♪♪
と 私が敬愛してやまないキヨシロ→さんが歌ってらした

それは確かに真実で、
それを自分の子どもに見せなきゃならないし
自分は親の仕事を見たほうが良い
…………ってコトを
元大工のタダオおじいちゃんと その娘さんの側にいて実感した。
娘さんは40歳を過ぎた今、初めて自分の父親が大工仕事をする姿を見て、涙が出るほど感動したそうだ。

「うちのお父さん、こんなに凄いコトができる人だったんだ」
「こんなに人から喜ばれる仕事をしていたんだ」
ってね♪♪♪

タダオおじいちゃんは70歳半ばの粋な人♪
予算0で店をつくっちゃおうという
【colors-cafeは、予算0だよっ★拾い物★貰い物だけで開店させちゃおう★計画】
…この無謀な計画に賛同してくださり、
素人の私たちが工事現場や建築現場で貰ってきたり拾ってきたりした物で、テーブル作ったり内装やったりしている姿にエラク感動してくださ
「そんならこの俺も一肌脱ぐぜっ!!!」
と   一人だけで汗ダクになりながら壁をぶち抜き、
「おじいちゃん、何か手伝うよ」という皆の申し出に対しては
「いや、素人さんは邪魔になるだけだぜ。
危険だから素人さんは引っ込んでな!!」
なんてソノ筋ノヒトみたいなセリフを言いながら
キッチンスペースを廃材を切り刻んで利用して作ってくださった、粋で神様みたいな手を持っているおじいちゃんである。

おじいちゃんのお孫さんも軽い知的障害などがあり、
この【TRANSIT☆YARD】はカフェをやりたかった訳でも シェアハウスをやりたかった訳でも無く、
知的障害の男の子の自立生活を実現するために予算0でもやり始めている訳で
おじいちゃんは、そんなんにも賛同してくれたらしい。


おじいちゃんの娘さんは差し入れを持って おじいちゃんの仕事を見に来てくれる。
「うちの息子も「おじいちゃん一人だけでキッチン作れるのかなぁ」と心配してるし、
私もこんな歳になるまで父の仕事をみたことが無かったから、
今回は見れたことで   このYARDに感謝をしてるの。
家では大酒くらって寝ているだけの父親しか見ていなかったから、
こんなに人様に喜ばれるコトができる父親だなんて知らなかったの。うちの息子にもおじいちゃんの仕事ぶりを話してあげよう、絶対に喜ぶわ!」
と  ホントに幸せそうに話してくれた。
そして、
おじいちゃんの仕事を見ながら、娘さんと話をしながら、
私も2年前に他界した父親を想い出していた。


私の父親はアパレル業界にいて  自分で店をやっていたけれど、別に尊敬なんかしていなかった。

父親が病気になったりして、私も父親の店を手伝うようになってからは  物凄く尊敬できる人となった。
まず
父親の店に  アパレル業界の若い人達が色んな人が悩み事を相談しにきたり、指示を仰ぎにやってくる。生地の選定の教えを乞いに来たりする。
お得意様は殆どが20代から40代の女性だったが  皆に「おじさん」と呼ばれて異常に信頼され好かれている。
20年間 おじさん以外の人から服を買ったコトが無いのよっ   なんて人が沢山いる。
そうか
うちの父親は  皆から好かれて信頼される仕事ぶりをしてきた人なんだな…って、
父親と一緒に仕事をして初めて知り、初めて尊敬できた。

晩年  父親が癌になってからは 私は私の娘たちや妹とともに   父親に出来る限りの楽しいコトをさせてきたけれど、それは父親を人として尊敬していたからで、
多分  一緒に父親と仕事をしていなければ あそこまで父親に尽くせたかどうかは解らない。


尊敬する人に尽くしたい
尊敬する人を愛したい
尊敬する人の側にいたい
そして
尊敬している人に見せられるようなコトを成功させたい
尊敬してもらいたい人に見せれるコトをしていきたい

私は先日

愛する娘たちにTRANSIT☆YARDの全部を見せた。
1階はママのやるお店なんだよ  って
3階はげんちゃんの一人暮らしだよ  って
そして2階のキッチンスペースで娘とご飯を作って食べた。
娘に今、私がやっていることを見せたかった。
次女は前の住民の引越しの時からこの一軒家を見ているので
「凄い!!!違うおうちみたいに綺麗になってるー(*^o^*)
ママすごーい♪♪♪」
って言ってくれて喜んでくれた、
自分の娘にキチンと見せれるものを作り始めるコトが出来て良かったって思っている。


みんな
自分の愛する人には 自分の仕事を見せよう

自分の愛する人に見せたい仕事ぶりをしよう
それは
母としての掃除だったり料理だったりでも構わない


それは愛する人の為にできる 最高のプレゼントなんだよ!!!!
愛する人の為に出来る限りの仕事をしてみよう!




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