ミーンミンミン
ジリジリジリジリ
ジリジリジリジリ
ミーンミンミン
ジリジリジリジリ
ジリジリジリジリ
199☓年アブラゼミの鳴き声が聞こえる都内某所にて行われていたミニ四駆大会にて、、、
実況「スーパーグレートジャパンカップ決勝戦ー−!マシンの激しいバトルが繰り広げられているーー!−!」
キューイーン
キューイーン
実況「トップはタナカくん華麗なコーナリングーーー!!!」
キューイーン
キューイーン
キューイーン
実況「ストレートではニワノくんのマシンがゴボウ抜きだーーー!!!」
キューイーン
キューイーン
キューイーン
実況「ネモトくん危険な香りのする走りで2台を追い詰めるーー!!!」
キューイーン
キューイーン
キューイーン
実況「最後のストレートーーーー! 3台はほぼ同時にゴオオオオオオオーーーーーーール!!! 栄冠はどのマシンにーーーー!!!」
観客は騒然としている
実況「優勝はタナカくんだアアアアアアあ!!!」
観客「ワアアアアアア!!!」
、、、
、、、
これ当時の写真はっとくね。みんな小さかったね。
これ当時の写真はっとくね。みんな小さかったね。
うちの連中との出会いの一幕をブログに綴ってみることにした。
それぞれミニ四駆とはきってもきれない縁でつながっていたんですよ。
運命とか宿命とかって言葉は好きじゃないが、、、
あの舞台で戦うことは決まってたんだろうね。幼いころから決まってた気がする、、、
運命とか宿命とかって言葉は好きじゃないが、、、
あの舞台で戦うことは決まってたんだろうね。幼いころから決まってた気がする、、、
私タナカの父親は有名ではありませんがプロのラリードライバーをして世界を走り渡り歩いていた人でした。
今は引退後に転職をしてサラリーマンをしていますが、、、
あまり家にいなかった父がはじめてくれたプレゼントがミニ四駆でした。
ありのまま、自然に、遠い異国でレースをしている父を思い浮かべながら川崎の道端でミニ四駆を走らせていました。そんな子ども時代でした。
今は引退後に転職をしてサラリーマンをしていますが、、、
あまり家にいなかった父がはじめてくれたプレゼントがミニ四駆でした。
ありのまま、自然に、遠い異国でレースをしている父を思い浮かべながら川崎の道端でミニ四駆を走らせていました。そんな子ども時代でした。
庭野くんは今は亡き都立大学の庭野模型店の長男なんですよ。
※都立大学庭野ビル1階にあったが、今は閉店していて喫茶店→居酒屋さんに業態変更をしています。
当時使っていたコースは実は屋上にあるらしい、、、
学校にもミニ四駆を走らせながら通ってたっていうし、数々の大会で優勝してて目黒区界隈では当時から有名な選手だったんですよ。かれは。
◯ミヤ模型疑獄の話を聞きたい方は私に聞いてくれればお答えします。
第一、刃物のついたミニ四駆や相手のマシンを破壊すること目的としてレースを行うなんて許せないもんだ。
それが商業的に成立するからといってやっていいことではないよ。しかも会社ぐるみの疑惑が拭い切れないんだから恐ろしい話だ。
そんなわけで
あのレースや出会いがなければ今の庭野くんとのつながりそして今のフウライはなかったと思います。
またこれから詳しく書いていければと思いますので退屈な昔話ですがヨロシクお付き合いください(^^)