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『風神がいるはなし』山田さんより、、、その1

『風神がいるはなし』山田さんより、、、その1


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風雷社中は、大田区に様々な仲間(理解者)がいます。
その人たちは、NPOとして活動していたり、社会福祉法人のスタッフだったり、利用者・家族だったり、飲み屋さんだったりと様々な立ち位置で風雷社中に関わりをもってくれています。

今回は、そんな仲間の一人、山田悠平さんから見た風雷をめぐる色々をお話し、頂きました(^^)
さて、山田さんって、どんな人?


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山田:
初めましての方は初めまして。
そうでない方は、こんにちは。
山田悠平です。
学生時代にメンタルヘルスにかかった原体験から、障害者運動に携わっています。

大田区では、障害種別を超えたグループの大田障害者連絡会をメインに、精神医療ユーザーの仲間とともに全国「精神病」者集団、東京精神障害当事者会ポルケなといった活動に関わっています。
ちなみに、現在は、体調は比較的安定し始めてきましたが、風雷さんには遠方の移動支援でお世話になることもあります。

そして、断り書きとして、よくある「誤解」ではありますが、私は風雷社中のスタッフではありません。

ちょっとムカつくような、嬉しいような。
一時は、ある意味必死になって否定していたような気もします。
フェイスブックなどの影響でしょうか、それぐらい関係が濃いと思われている証拠かもしれませんね。

ちなみに、私事ですが、最近フェイスブックを辞めました。美味しそうなラーメンのあとに首を折られて死んだ入院患者の話がつづく、「タイムライン」をみていて、感情の起伏を誘発されていることに気づきました。体調と感度が侵されていることが、嫌になりました。んで、連絡取れなくなった人は、こちらまでお願いします。

携帯080-5484-4949
ちゃっかり連絡網。


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中村:
ちゃっかり個人連絡に紙面を使ってくれる、お茶目な山田さん^^;。
その山田さんが風雷と関わるキッカケは?






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山田:
かくいう僕が障害に関する運動体に関わったきっかけは、やはり風雷社中の中村さん、茂野さんとの接点が大きいものでした。
今回は、彼らとの接点のきっかけからはじまり、風雷社中の「風」の話をしたためます。

ご縁は、前職で携わった「さっと」プロジェクト(東日本大震災後の福島県南相馬市周辺を中心とした精神障害者の通所、通院の移動支援体制構築)から、始まります。

もともと交通網が脆弱な地域だったようですが、原発事故の影響をもろにうけて、輪を掛けて、精神障害者は移動の困難に直面しました。こういった社会課題に向き合う事業から、彼らと関係をいただくようになります。

この「さっと」のきっかけとなる福島と東京の接点は、彼らが実際に現地に訪問したことから始まります。ここで詳細を書くのは控えますが、比較的早い段階で実際に現地に赴いたことが、大田のメンバーの信を厚くしたことに寄与しました。思い立つ中で行動した思い切りの良さが、如何なく発揮されたようです。団体名の由来たる疾風のごとく。



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中村:
山田さんとの出会いの始まりは、福島原発事故被害への関わりの中でしたね。
ずいぶんと長いおつきあいになってきています。
『疾風』とは、またカッコよく言って頂きありがとうございます(^^)
山田さんから見た風雷をさらに、、、






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山田:
そう、風雷社中の特徴のひとつとして、(正確に言うと、中村さんですが)「まずは行動する」というのがあります。最近はあまり耳にしませんが、中村語録のひとつに「早く間違えて、早く直す」というフレーズがあります。言ってしまえば、トライ&エラーのことなんですが、中村さん以上に実践をしいているのが、田中事務局長だったりするのも面白い現象です。
もちろん、田中先輩(中学・高校の先輩なのです)の根っこの性格やパソコン同好会で培われた論理回路も影響していると思いますが、チームの行動様式に中村語録が影響を与えた部分もあるでしょう。



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中村:
「早く間違えて、早く直す」って、良くTwitterやfacebookに書いていたよね僕。でも、あの時、実は「トライ・アンド・エラー」って言葉を知らなかったのだ(*_*;







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山田:
一方で、「早く間違える」ために、疲弊している茂野さんがいることも特筆すべきことです。最近、特に辛そうです。加齢もあると思うので、ちょっ優しくしたい気もします。

思うに、熟考型でぶれない姿勢を貫くのが、茂野さんのとても尊重すべきところです。
性格の問題もあり、たまにめんどくさいだけに見えるときもありますが、組織運営にこの種の人がいることが、「早く間違える」風雷社中には欠かせないのです。
茂野さんは、立ち返るべき論点を明確に出し、そことの整合性を投げかける役割です。そう、なにを「早く間違えた」かを突き詰め、答えの方向性を暗示してくれます。重要なのは、暗示だということです。



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中村:
そうそう、茂野さんがいるから、迷走しないでやってこれていると思っています(^^)
迷った時には「ねえ茂野さん、、、」って聞くもんね♪








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山田:
そういった意味では、元スタッフのN女史も近い意味で大きな役割を果たしていました。
丁寧にひとつひとつのブレに対して確認をする事務屋さんは、やはり貴重な存在です。





(つづく)



人物紹介
◯中村、、、特活!風雷社中理事長
◯田中、、、特活!風雷社中事務局長
※この二人は、風雷社中のキックオフメンバー
◯茂野、、、特活!風雷社中の立ち上げ前より、中村とインターネットラジオOpenSession(https://opensession.jimdo.com/)などで一緒に活動し、相談支援事業「相談をめぐる冒険」開設に伴ない風雷社中に参戦
◯N女史、、、風雷社中立ち上げ直後に事務局として参加。現在は事務局業務を若手にゆだね、某NPOの事務局として活躍中


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